(元)なまぽ太郎

生きるのって難しい、、、でも〇ぬのはヤダ

1990年 あの頃の夏

私は昭和生まれで、割と裕福な家庭で育った。

 

父、母、祖父、祖母、俺、妹2人

7人家族、二世帯でサザエさん的なファミリーで

田舎なので一軒家

クリスマスプレゼントでスーパーファミコンの本体や

サッカーボール、自転車

 

誕生日プレゼントでもスーパーファミコンのソフトとか

お年玉も割ともらえていた。

 

塾や家庭教師、スイミング、少林寺、サッカークラブ

そろばん、習字、赤ペン先生だったかなんだったか

自宅に教材が届いて学習するセットとか

そんなので勉強してたりと割とやりたい事を

やらせてもらっていた。

 

また、田舎あるあるではあるが

近所に親戚とかいて親戚にプレゼントをもらったり

色々、譲り合いみたいなのもあり、

小学生の頃は小学校に体育館以外に多目的ホールというのがあり

そこで昼休みに映画をみれたりした。

 

1980年代から1990年代は日本も景気が良くて確かバブルの時期なのか

皆、日本中が元気で余裕があったのと子供だったので

田舎町でも大きく感じられたし、何もかもが新鮮で

楽しかったのを覚えている。

 

夏にはラジオ体操に行って、家に帰ったら朝ご飯

パンにジャムに目玉焼きにソーセージにサラダ

朝から夏のアニメ特集があり、ちょうど小学生の私は夏休み

時間の流れも違っていたし、物の見え方や捉え方も違っていて

過去の事だから美化されているのもあり、この記事を書きながら

過去を振り返っても素敵な思い出ばかりである。

 

母親にアニメをしばらく見ていると「そろそろ宿題をしなさい」と

言われ、しぶしぶ宿題をする。

 

しかし、今でもそうだが勉強の面白さが分からず

当時好きだったマリオの勉強机に向かっても一向に宿題がはかどらず

しばらくしたら母親が自分の部屋に向かってくる足音が聞こえて

勉強をしているふりをする。

子供の浅知恵なので勉強が進んでいないのが直ぐにばれてしまった僕は

当時では先生がゲンコツをしたり等の体罰が当たり前の時代なので

母親からの怒りの鉄拳制裁をくらうのだ

 

そんなこんなで朝のラジオ体操、朝食を食べながら

夏のアニメスペシャルをみて 宿題 昼食

遊びに出かけて、夕方食事

夏祭り 盆踊り 海で泳いだり カブトムシやセミを捕りに行ったり

そうめんを食べたり、花火をしたり みたり

祭りで アイスや綿あめを買ったり

くじをひいて はずれが出ても ポジティブにそのはずれの

ヘンテコなおもちゃで遊んでみたり

 

友達の家に行って コロコロコミックやボンボンを読んだり

アニメのVHS ビデオ をみたり

後は鬼ごっこ どろけ ⇦泥棒と警察に分かれて 泥棒が逃げる 警察が捕まえる

って遊びをしたり、公園へ行ったり、神社で遊んだり

肝試しをしたり 僕の頃の夏と言えば テレビで稲川順二が

怖い話をしていたりした。

 

後は夕方には夏の心霊スペシャルもやっていたし、金曜ロードショー

土曜ロードショー 日曜ロードショー

ジブリ映画やターミネーター プレデター バックトゥザフューチャー

映画もビデオのアニメ映画もボンボンもコロコロもミニ四駆

スーファミドラゴンボールスーパー武道伝も

花火も肝試しも とにかく夏は楽しかった

 

そんな記事を書きながら 現在は東京で夏も関係なしに仕事の毎日を

過ごしていると すこし寂しくなる。

 

不思議だな 人生って こんなもんと言えばこんなもんだろうが

結局のところ 10代と20代までである。

30代で楽しんだりできる事はできるが 人生の夏休みは

5~6歳から30歳までの25年間くらいなのだ

だから これを読んでいる10代 20代の君

 

歳をとればとるほど どんどん選択肢が減るのでやりたい事は

絶対やるべきだ!!!!と 未来の君のかわりに私が伝えるのである。

 

でもね もちろんアラフィフのオイラも諦めていない

周りに笑われようが 家族から理解が得られなかろうが

携帯のメッセージがどっかの悪質な迷惑メールしかなかろうが

出会い系で全くマッチングしなかろうが

諦めないのである

 

そんで証明してやるのである。

 

人生、生きている間 可能な限り 楽しんでやるのだと

だってさ 悲しいじゃん そうじゃなきゃさ

心のどっかで 死んだら天国みたいな何かに行けるって 無意識的に

考えていたけど そんなあるかどうか分からないものや

生まれ変わったら 何て言ってられないさ