なまぽ太郎

生きるのって難しい、、、でも死ぬのはヤダ

何時からだろう?

生きづらい、、、そう思うようになったのは

 

学生時代から自分が発言すると周りは変な反応をしていた

いつも自分には何故か理解できなかったが、だんだん大人になるにつれて

分かってきた。

 

自分はおかしいんだと

 

30代後半になって病院へ行き診断書を書いてもらい正確なものになった

 

私は障害者手帳をもらった。

 

離婚前からアル中になり、毎日酒を呑まないと寝れなかった

せっかく元嫁の実家の近くに家を建てたのに、どんどん元嫁は態度が悪くなる

一方だった、、、。

 

結局、全部の原因は自分と言わんばかりに元嫁、元嫁の友人、元嫁の親たちから

責められ、こちらが抗議しても「いやいや」「当たり前だ」「そんなのは理由にならない」と言われ結局、悪い鬼に仕立て上げられて私は元嫁の地元から出た

 

結婚してから子供3人、車2台、住宅、貯金、色々あったが

最後はホンダのゼストという軽自動車だけが残った。

 

離婚手続きはあっけなかった 今でも元嫁の発言が忘れられないのだが

「お母さんが今日は大安の日だから離婚の手続きには良いと言っていた。」

と言われた。

 

離婚の紙に印鑑を押して、私は車で元嫁の地元を出た。

 

実家に帰る途中、住宅を建てる前に住んでいたボロアパートがある千葉県の

臼井に立ち寄り、夕食を食べた。

 

良く家族と行っていたスシローだ、元嫁や子供たちと過ごしていたボロアパート

夏は部屋が暑くなり、冬は隙間風で寒くなる。

 

でも幸せだった。

 

狭くて夫婦で過ごしたリビングこたつに入りながら二人でツタヤで借りた

映画をお酒を呑みながら観た。

 

となりは寝室で子供たちが3人 良い子で寝ていた。

 

その後、スシローで夕食を済ませ、高速に乗り、実家へと向かう途中

DIR EN GREY のRANUN CULUSを聴きながら 歌いながら

沢山泣いた 沢山 沢山 沢山 沢山 苦しくて 悲しくて

孤独 辛くて 悔しくて このブログを書いている今でも

悔しい 悔しい 悔しい 悲しい 悲しい 悲しい

死にたい 死にたい 消えたい いなくなりたい

 

でもいなくならかった 死ななかった 死ねなかった

生きたかった

 

今こうしてブログを生きてかいている。